ミドル・シニア世代は何をアンラーニングしなければならないのか

ミドル・シニア人材が再構築した新しい持ち味・スキルなどを組織の内外で発揮することができるようなるヒントを探るため、ライフワークスでは様々な研究者の方々にお話を伺っています。
今回は、法政大学経営学部教授の長岡健 先生に伺った「アンラーニング」についてご紹介します。

2018.04.17
専門家コラム

長岡先生がご専門とされているアンラーニングについて、特にシニアの話題を中心に教えてください。

長岡: 「アンラーニング」とは、「学習棄却」とも呼ばれ、時代にそぐわなくなった知識や価値観を捨て去り、新しく学び直すことです。私は、企業も個人も今まさにアンラーニングが必要ではないかと考えています。

今のシニアは、自分のキャリアの在り方を、所属組織から切り離して考える必要がなかった世代と言えます。なぜなら、この世代は企業にとってハッピーであったこと、所属する組織の発展が、そのまま自己実現に繋がる部分が多く、自分自身がどうありたいかを、所属組織から切り離して問わなくてもよかったからです。ところが、時代が変わって、人生100年時代といわれるようになりました。すると、人々は企業で働くことの先にある状況も含めた"自分のキャリア"を視野に入れ、時には、組織人の視点ではなく、現代社会に生きる一個人の視点に立って「どう生きていくのか」を考えなければならなくなる場合も出てくるわけです。確かに、頭ではわかっているかもしれません。ですが実際は、従来通り、企業の視座に立ち、企業の利益に貢献しようという考え方に囚われてしまい、「企業人/組織人ではない自分」にとってのキャリアになかなか目が向かない。そんなシニアの方も多いのではないかと思います。
一方、企業にとっても、社会における多様化の進展により、これまでのように「儲ける」だけでは、働く人たちをハッピーにすることができなくなりました。様々に異なる価値観を持つ働く人たちへの多様な対応方法が模索されなければならなくなったわけです。

企業も働く人も、これまでと違った在り方が求められている中で、例えば、徐々に会社の中核なポジションからシフトしていくプロセスの中にいるシニアには、企業の利益に直接繋がらなくても自分にとってやりがいのある役割を探り、主体的に創っていこうとする意識が必要になってくるかもしれません。そのような意識を醸成するためには、企業とシニア個人が対話を重ね、お互いに譲り、認め合いながら、組織と個人の新しい関係性を築いていくようなアンラーニングが必要な時代になってきたのではないでしょうか。

20年前から言われてきた「自己選択と自己責任」の時代が現実的になったということでしょうか。そうした中で、私たちは何をアンラーニングしていく必要があるのでしょうか?

長岡: その話をする際のキーワードとして、まず「経済合理性」という価値基準について触れなければなりません。現在もなお、多くのビジネスパーソンにとって、何か意思決定する際の価値基準、判断のよりどころとなっている評価軸は"経済合理性"、つまり損得勘定です。私たちの世代は、長年にわたる仕事経験の中で「それ儲かるの?」「メリットは何?」とずっと問われ続け、意思決定する際には経済合理性の基準に基づいて説明することが当たり前と思ってきました。そういうやり取りの中で企業人/組織人として育っていますから、自己選択の際にも経済合理性を判断の根っこに据えるのが当然と考える人が多いと思います。しかし、今の若い人達の中には、「社会のためになる」ことや、「地域に貢献している」といった、損得勘定抜きで何かに取り組んでいる人も少なくありません。

一方、経済合理性の文脈で育ってきたシニアの方々の中には、経済合理性の基準を満たさない活動はただの娯楽という価値観で世の中を見ている方が少なくないと思います。しかし、企業で働くことの先にある状況も含めた"自分のキャリア"について考えるのであれば、娯楽としてしか見ていなかったボランティアやプロボノ、地域コミュニティ活動などにも目を向けて、経済合理性を伴わないが故に、一見、非合理的に見える活動の中にも、社会的に意味のある活動があることに気づき、それらに取り組むことにやりがいを見出していくことが大切かもしれません。そして、企業にとって経済合理性のない活動に取り組んでいる若い人達をみたとき、彼女/彼らの価値基準を「ある部分までは認めよう」ぐらいに思って、受け入れることができるようになると、これまで絶対的な価値基準だと思っていた経済合理性が、徐々に相対化されてくるのではないでしょうか。

組織人/企業人の視点ではなく、現代社会に生きる一個人の視点に立ってみると、世の中には経済合理性だけで決められない「意義深いこと」や、金銭的価値では測れないけれども「やりがいのあること」はたくさんあります。損得勘定の尺度だけで"自分のキャリア"を見ようとすることをやめる、これが今必要なアンラーニングではないかと思います。

実際にアンラーニングするにはどうしたらよいでしょうか?

長岡: これまで話してきたような意味でのアンラーニングを実現するためには3つの脱却が必要だと思っています。

1つ目は「脱損得勘定」です。短期的な損得勘定の価値観に囚われていると、つい「儲かるかどうか」が「チャレンジすべき新たこと」を探す前提と考えられてしまいがちです。何か新しいことにチャレンジしようとするなら、その理由は「儲かるから」ではある必要はなく、単純に「それが好きだから(Because I like it)」といえることも大切なのではないかと思います。
2つ目は「脱横並び意識」です。多くの人たちは、これまでの仕事の中で、条件反射的に「あの人がやったら私もやる」というやり方で生産性を高めてきていました。今の時代、それでいいのでしょうか。他者との比較ではなく、「自分にとって何をやりたいのか?」を考え、行動していく時代になっていると思います。
3つ目は「脱自己顕示欲」です。自己顕示欲はある意味で自分を奮い立たせる原動力にもなりうるもので、それ自体は必ずしも問題だとは思いません。でも、周囲の人に「すごい人だ」と思われたい気持ちが強すぎると、自分が本当にやりたいこと、価値があると思っていることを見失うことにもなりかねません。また、他者の視線を気にするあまり、失敗を恐れて、新たなことへのチャレンジに尻込みしてしまうことがあるかもしれません。そうした気持ちから解放されるには、時には、自己顕示欲をちょっと脇に置いておき、自分自身の弱さをさらけ出すことも意味あるのではないでしょうか。

そして、この3つを意識しつつ、「問題を解決する」とか「悪いところ直す」という発想ではなく、「自己変容は次のステップへの新たなチャレンジだ」というポジティブなマインドセットになることがアンラーニングにとって重要だといえます。

特にミドル・シニア人材がアンラーニングできるようになるためにはどのように支援していけばいいでしょうか?

長岡: アンラーニングとは、そもそも強制されるもではなく、苦労してヘトヘトになりながら取り組むものでもありません。肩の力を抜いて、リラックスした気持ちで取り組まないと、アンラーニングは起こりづらいものです。ある意味で、アンラーニングとは正反対のプロセスである熟達化との対比で説明すると、熟達化は若いころから修羅場経験などを継続的に積み重ね、一歩一歩地道に階段を登っていくようなイメージ。それに対し、アンラーニングはある日突然スッと起きるイメージです。今まで全くわからなかったことなのに、ちょっとしたきっかけから「はたと膝を叩く」ような経験をしたとか、「スーっと腹落ちした」というような感覚に近いですね。これらの前提を忘れずに、決して無理強いすることなく、アンラーニングが起きやすい環境を焦らず作り続けていくことが支援の在り方の一つだと思います。

アンラーニングが起きるための環境づくりのキーワードとして、私自身は以下の3つを意識しています。

1つ目は「アマチュアリズム」です。アマチュアリズムとは非専門主義とも言われる考え方で、文学批評家のE.サイードは、以下のように説明しています。「アマチュアリズムとは、専門家のように利益や褒賞によって動かされるのでなく、愛好精神と抑えがたい興味によって衝き動かされ、より大きな俯瞰図を手に入れたり、境界や障害を乗り越えさまざまなつながりをつけたり、また、特定の専門分野にしばられずに、専門職という制限から自由になって観念や価値を追求することをいう。」(E. サイード『知識人とは何か』)
つまり、アマチュアリズムとは、狭い範囲の専門性に囚われることなく、自由な発想からものごとを見つめ直す際に有効な考え方です。ただし、仕事の場面でアマチュアリズムを発揮しようとすると「素人が、知識もないのに何馬鹿なことやってるんだ」とストップがかかることになります。確かに、短期的な成果が求められる状況では、アマチユアリズムはあまり歓迎されません。しかし、アンラーニングを誘発しようとするなら、職場や同僚がアマチュアリズムをリスペクトし、奨励することは好ましいと言えるでしょう。
2つ目は「脱予定調和」です。越境学習がいい例ですが、これがアンラーニングを誘発する理由の一つは、自分の価値観や規範から逸脱した経験に出会えるからだといわれています。ただし、出会うだけではアンラーニングに結びつかないこともあります。それは、自分の価値観や規範から逸脱した他者に会ったときに「あいつはヘンだ」と拒絶してしまうような場合です。「違和感を受け入れる」かどうかは、越境学習にとって非常に重要な分岐点です。自分とは異なる他者に対し、「あいつはヘンだ」と考えるのではなく、「アタリマエだと思っていた自分がヘンだ」と考えることができれば、自分がアタリマエだと思っていた価値観や規範が、実はそうではない可能性に気づくことができます。これは自分を"異化"するということを意味します。この異化が起きるような場とそこでの経験を大切にすることが、アンラーニングを誘発する上で有効だと考えます。
3つ目は「自作自演」です。"異化"を起こす脱予定調和的な経験をするための装置というのが、本来のワークショップの意味だと私は考えています。ワークショップは「作る」「語る」「振り返る」という3つの活動で構成されていると思っている方が多いのですが、そこには最も重要な「準備する」という活動が抜けています。準備を含めて自分達でやる、つまり「自作自演」がワークショップなのです。
日ごろの仕事の中でも、与えられた環境の中で演じるだけではなく、自分たちでシナリオを書く、舞台を作る、演じる、観客になる、といったことを全てやってもらう。そうすることで、描いたシナリオを演じきれない自分に気づいたり、今まで想定していなかったシナリオを思いついたり、自分の価値観や考え方が変わったりする重要なきっかけになります。

以上のようなことを踏まえながら、支援を続けることで、ミドル・シニアの方々も、先に挙げました3つの「脱却」ができる可能性が広がっていくと思います。そして、過去の経験や知識に囚われてしまい、もしかすると今の時代にそぐわなくなりつつある価値観や行動パターンを、アンラーニングするきっかけとなるのではないかと思います。

rc_f_180417_02.jpg

長岡 健 教授

法政大学経営学部教授。専門は組織社会学/ポストモダン・エスノグラフィー。
慶應義塾大学経済学部卒、英国ランカスター大学マネジメントスクール博士課程修了(Ph.D. in Management Learning)。

おすすめ記事

専門家コラムの一覧へ戻る