知っておきたい「キャリア権」の基本第3回:「キャリア権」の理念を実現するために ―「投機的」ではなく「投資的」なキャリア形成を
第2回では「人事権」と「キャリア権」の衝突をどう考えればいいのか、また、具体的にどのような工夫をすれば、組織全体の成果を上げながら、社員のキャリアを尊重できるのか、実践例とともに教えていただきました。最終回は、社員のキャリア自律のために組織は何ができるのか、真の自律を実現するためにどのようなキャリア支援を行えばいいのかをうかがいます。
- 第1回:今、なぜ「キャリア権」が求められるのか ―自分のキャリアを自分のものにしていくために
- 第2回:個人の「キャリア権」と企業の関係 ―「人事権」と「キャリア権」
- 第3回:「キャリア権」の理念を実現するために ―「投機的」ではなく「投資的」なキャリア形成を
従来型のキャリア形成のすべてに問題があるわけではない
前回お話しいただきましたように、「キャリア自律」の重要性が高まっているからといって、個人のキャリア形成が組織主導で行われてきた企業でいきなり改革をとなると、組織も個人も戸惑いが大きいでしょうね。
それに、従来型のキャリア形成のすべてに問題があるわけではありません。むしろ、キャリアの初期段階では企業のしっかりとした教育訓練のもとで基本となる能力を身につけないと、そのあとのキャリア展開がなかなか円滑に進まないのではないでしょうか。日本の学校教育はまだまだ実践的とは言えませんから。
しかし、いつまでも組織主導でキャリア開発をしていては、社員が「親離れ」できなくなってしまいます。そうならないためには、ある時期を過ぎたら、社員が主体的に自身のキャリア形成を考え、それを会社や人事がサポートしていくという構図に切り替えていくことが重要です。では、その「ある時期」とはいつか。一般的な日本企業で「一人前」とみなされる30歳過ぎくらいと私は考えています。なお、欧米でも一人前になるまでの期間は多くの職業で10~12年くらいが目安という研究結果があります。大卒だと30代半ばころでしょうか。
「一人前」になるまでは、ある程度「人事権」が前に出ることになりますね。
この時期は、個人の側もジョブローテーションを"視野を広げる機会"と捉えて、前向きに仕事に取り組んでいけると良いと思います。実際、そのような姿勢を持った人がジェネラリストとしても、さらにはスペシャリストとしても能力を発揮しています。
ただし、会社と社員の間で十分な対話もないまま、漫然とその場その場の組織の都合で、定期的な異動を繰り返すだけでは社員が長期的なキャリア展望を持てません。よく日本の若年層の離職率の高さを「七・五・三」と表現しますが、最近の実態は「七・四・三」。中卒の7割、高卒の4割、大卒の3割が入社3年以内に離職しており、その原因の多くが「仕事とのミスマッチ」感によるものです。
今の若手社員は学校でキャリア教育を受けており、「自分はこういう仕事をしたい」とイメージを抱いて入社してきます。会社も採用時は「いやあ、あなたの能力を我が社で是非発揮してほしい」などと言っておきながら、いざ入社して新入社員が「〇〇の仕事をやらせてください」と希望すると、上司が「何、言ってんだ。まだ早い」と取り合わなかったりする。その後の定期異動でも、「個人希望」を書かせておきながら、多くの社員はほとんど尊重されないし、その理由も説明されない。そんな調子では若手社員が「将来にわたってこの会社で活躍したい」と思う方が不思議ですよね。
一方、通年で働く就業者の平均年齢がすでに45歳を超え、本来なら元気に活躍していてほしいミドル・シニア世代のモラールダウンも深刻です。会社に与えられた仕事を文句も言わずやってきたのに、40代半ばを過ぎたら、ラインの出世コースから外されたり、年下の部下から高圧的な物言いをされたりして、やる気がなくなってしまう。
ジェネラリストとしての可能性を広げつつ、専門性のコアを育てていく
何だか暗い気分になってきました(笑)。社員が長期的なキャリア展望を持ち、活躍し続けるために企業がすべきことは何でしょうか。
ひとつは、これまでお話ししてきたように「対話」です。そして、社員のキャリア開発において専門性のコアを育てることが重要です。「一人前」になるまでの期間が10年ほどとして、最初の5年はジェネラリストとしての能力を見るために頻繁にジョブローテーションをするとしても、適性が見えてきたら、本人と対話をしながら、職種や業務領域をある程度絞り込んでいく。ジェネラリストとしての可能性を広げつつも、マネジメントのスペシャリストとなることを含め、各種のスペシャリストとしてもやっていけるコアを育てていく体制が企業にあれば、若手がすぐに希望の仕事に就けなくても、目の前の仕事がいずれ自分の「キャリア資産」になると感じることができるでしょう。
また、ミドル・シニアになってラインから外れ、昇進のモチベーションはなくなったとしても、専門性のコアが育っており、それを活かせる業務に携わることができれば、企業課題になるようなモラールダウンを社員が起こすことは少ないはずです。また、スペシャリストとして起業や転職など個人のキャリア選択の幅も広がります。
同時にライン昇進を基礎としたキャリア形成のスタイルを見直すことも重要でしょう。ラインから外れてスタッフ職になっても、その人の持つ専門性や会社への貢献度をきちんと評価し、フィードバックする。それができれば、「あなたはこの分野でプロを目指しているんだね。私はこっち。一緒に頑張ろう」とお互いのキャリア形成を応援する文化が生まれ、組織全体の士気も向上するのではないでしょうか。
自分のキャリアに最終的な責任を負うのは自分
社内昇進以外のモチベーションがあれば、年齢を問わず、キャリア展望を持ちやすくなりますね。ただ、すでにミドル・シニア世代になり、「今さらどうすればいいのかわからない」という人も多そうです。
私もかつて「自分の研究だけを一生懸命やっていればいいんだ」と言われた世代ですから、その気持ちはよくわかります。しかし、キャリアについてあまり意識しないままミドル・シニア世代を迎えた人であっても、キャリアの棚卸しをしてみれば、多くの「キャリア資産」を持っているものです。ただ、それを活かせるかどうかは、これまでのバラバラの経験を統合し、今の時代や次の仕事の文脈に合った意味づけができるかどうかです。
意味づけをするには?
最も有効なのは「パラレルキャリア」だと思います。社内公募制度に応募して組織横断的なプロジェクトに参加してみたり、資格奨励制度を利用して学校に通ってみたりする。週末のボランティアや、可能であれば、兼業・複業・副業も良いでしょう。いつもとは違う環境でこれまでの経験を振り返ることにより、自分の強みも見えてきますし、本業にも役に立つことは多いです。
企業によっては、そうやって自らキャリアを開発しようとする人を「この忙しいのに、何でそんなことをやってるんだ」と批判する風土もあるかもしれません。中長期のことを考えず、目前最適、部分最適にしか目がいかない管理職を生む組織文化なのでしょうか。しかし、それでは社員のキャリアの可能性は広がらないですし、モチベーションも下がってしまいます。社員のキャリア自律のためには、目先のことだけにとらわれた投機的なキャリア形成ではなく、投資的な視点でのキャリア形成の必要性・重要性を個人も、企業も認めていくことが大事です。キャリア権はその流れを支える法的基盤となるでしょう。
最後に、自分のキャリアに最終的な責任を負うのは自分です。「キャリア自律」が求められる時代であっても、個人のキャリア形成にとって企業のサポートが必要であることは変わりありませんが、企業にできることは限度があります。2015年の職業能力開発促進法の改正により、「職業生活設計」を行い、それに沿った能力開発をすることが労働者の努力義務となりました。また、その促進をすることが事業主の努力義務と定められています。自律的なキャリア形成は権利だけでなく、義務でもあるのです。自らのキャリアを自らのものにしていくために、個人も是非、前向きな努力をしていっていただけたらと思います。
諏訪 康雄(すわ やすお)
法政大学名誉教授 / 認定NPO法人キャリア権推進ネットワーク理事長
専門は労働法・雇用政策。
1977年法政大学社会学部専任講師。助教授、教授、大学院政策科学研究科教授を経て、2008年同学大学院政策創造研究科教授。2013年同大を退職、名誉教授。労働政策審議会会長など、政府審議会等の委員を歴任。中央労働委員会会長、日本労使関係研究協会常務理事、経済産業省社会人基礎力に関する研究会座長、経済産業省社会人基礎力育成グランプリ審査委員会委員長なども務めた。
主な著書
『雇用と法』(放送大学教育振興会、1999年)
『労働者派遣法の改正と職業紹介の見直し』(教育文化協会、2000年)
『職業キャリアをどう支援するか』(教育文化協会、2003年)
『労使コミュニケーションと法』(労働政策研究・研修機構、2006年)
『キャリア・チェンジ! : あきらめずに社会人大学院! 新たなキャリアを切り拓こう』(生産性出版、2013年)
『雇用政策とキャリア権-キャリア法学への模索』(弘文堂、2017年)