越境学習はミドル・シニアのキャリア開発になぜ有効なのか
2017年5月24日の特別講演に登壇頂く法政大学大学院の石山恒貴教授に、コラムを寄稿頂きました。講演のテーマでもある「越境学習」について、この機会に皆さんも考えてみませんか。
1.越境学習とは?
本稿では、越境学習がミドル・シニアのキャリア開発にどのような影響を与えるのか、という観点について考えてみたい。そのためには、そもそも越境学習とは何か、という定義が必要だろう。越境学習という概念は比較的新しいものなので、その定義はまだまだ曖昧である。会社の中の学びだけでは不足なので、会社の外での学びが注目されており、その総称だろう、となんとなく理解されていることが多いかもしれない。そうなると、越境学習は自己啓発の一種で、その中でも社外で行う学習、という定義になってしまうかもしれない。
ただ、筆者は、越境学習をもう少し別の観点で捉えている。越境学習という概念が注目されるようになったのは、日本では産業能率大学の荒木淳子准教授と東京大学の中原淳准教授が、その効果を具体的に示したことによるものだ。その具体的な効果とは、職場や組織の境界を越えた場で学ぶと、越境元とは異なる視野がひらけ、自分のあり方を見直す契機になるのでキャリア発達などに影響を与える、というものだった。また、この効果は、ユーリア・エンゲストロームの唱える「拡張による学習」という考え方と重なる部分が多い。エンゲストロームは、境界を越えることは、今行っていることを拒絶し、疑問を投げかけ、挑戦することである、とする。そこには、葛藤が生じざるを得ない。それこそが今の自らのあり方を見直すきっかけになるし、だからこそ新しいものを生み出すことができるのだ。
もう少し簡潔に言えば、次のようになるだろう。いつも自分の「ホーム」で仕事をしていれば、気が楽だし、それまでの経験をいかすことができる。周りにいる人のことは良く知っているので、受け入れられやすい言動、振る舞いを実行することができる。だとすれば、なかなか「アウェイ」に行く気にはなれない。ましてわざわざ「アウェイ」で学ぼうとは思わない。
しかし、たまたま「アウェイ」に行く機会があったとする。「アウェイ」に行くことは不安だし、怖いだろう。実際行ってみても、なかなか馴染めず、不快に感じてしまうかもしれない。それでも、馴染めないとしても、なんとかその場を切り抜けようと、それなりに振舞ってみる。慣れない振る舞いに疲れ果てて、ようやく「ホーム」に戻ってきたとする。身も心もくたくたなので、二度と「アウェイ」には行かないと、自分に誓う。
ところが、「ホーム」に戻って2~3日たったとしよう。いつもと違う振る舞いをしたことがなぜか自分の中で引っかかっている。そして、その理由を考え、その結果として、「ホーム」での振る舞いが少し変わってくる。
たとえば、こうしたことが起きれば、それが越境学習なのだと筆者は考える。自分の中の「ホーム」と「アウェイ」を分かつ、何かの境界、それを越えて、自分の暗黙の前提を内省し見直すことが越境学習なのである。境界とは単純にとらえれば会社、組織の境界ということになるかもしれない。しかし、境界はそれだけではない。自分の中で「ホーム」と「アウェイ」を分かつのであれば、それが境界になるだろう。たとえば同じ職場にいても「アウェイ」と感じられるプロジェクトチームに任命されれば、それは越境かもしれない。他方、会社の外の勉強会に参加しても、それが「ホーム」のような環境なら、越境とは言えないかもしれない。
なお、ここで留意すべきは「アウェイ」に行った後で内省すること、振り返ることである。中原准教授の越境学習の定義においても、「内省する」という表現が明記されている。「アウェイ」に行きっぱなしで、振り返りを行わず、自分の暗黙の前提への疑問、挑戦が生じなければ、越境学習の価値は半減してしまう。「アウェイ」に行くこと自体が目的化してしまうと、本末転倒ということになる。
2.ミドル・シニアのキャリア開発
では、越境学習はどのように、ミドル・シニアのキャリア開発に関係するのだろうか。ミドル・シニアのキャリア開発の課題として、人事部門からよく指摘されることは、役職定年、あるいは上司が年下になった、などのキャリア上の転機により、動機づけが低下してしまうことである。あるいは、変化対応力に欠ける、高い目標に主体的に挑戦しなくなる、という課題も指摘される。変化対応力に欠ける、高い目標に主体的に挑戦しなくなる、などの課題はミドル・シニアに限ったことではなく、働く人であれば、多かれ少なかれ陥りがちな課題であろう。その課題が、役職定年、あるいは上司が年下になった、などのキャリア上の転機によって問題が増幅してしまう、ということがあるかもしれない。
そうしたキャリア上の転機をどう乗り越えるのかという点も重要であるが、むしろ、変化対応力に欠ける、高い目標に主体的に挑戦しなくなる、という課題の本質的な原因は、現状の業務については経験豊富であるため楽に仕事がこなせてしまう、という状態にあるかもしれない。そのような状態にあると、新たな挑戦をしなくても、それなりに業務上の目標が達成できてしまう。そして楽に仕事をこなせるミドル・シニアの上司が年下であったとすれば、年上の部下に対する遠慮から、高い目標の設定を要求しない、という事態が生じても不思議ではない。
つまり、この状態における問題は、長期間、自分にとって楽な状態に甘んじてしまうことである。いわば、長期間、「ホーム」に閉じこもり、不快な経験を回避してしまうこと、とも言い換えることができる。そこで、「ホーム」に閉じこもってしまう気持ちを打破する有効な施策として、「アウェイ」との境界を越える越境学習が求められることになる。
3. 越境学習をミドル・シニアのキャリア開発にいかすために
「アウェイ」をあえて感じる越境学習がミドル・シニアのキャリア開発に有益である、という点については、それほど異論はないかもしれない。しかし、では、どうすればいいのか、という疑問が湧いてくることだろう。そもそも、変化したくない・挑戦したくない、という状態にある人を、どうやって「アウェイ」に連れ出せばいいのか、という疑問である。
最近では越境学習の打ち手は多様化しているので、もちろん連れ出すことができる可能性がないわけではない。社外の教育機関への参加だけではなく、社会人のインターンシップ、社外のプロジェクト、越境学習の効果を狙った出向など、多彩なメニューが実現している。しかし、組織が用意する打ち手には、どうしても参加できる人数が限られる。そうなると、組織としては若手の将来のリーダー候補などを打ち手への参加者として優先してしまうかもしれない。つまり、組織にとっては、越境学習を変化したくない・挑戦したくない、という状態にあるミドル・シニアに活用するのは現実的ではない、という結論が導かれてしまう可能性がある。
しかし、それはやや安直な結論ではないだろうか。組織で越境学習を促進する方法は、具体的な打ち手に組織が選抜した人を参加させるだけとは限らない。むしろ、「アウェイ」には、個人が自ら赴くことが理想的であり、そうであれば組織が用意した「アウェイ」だけが選択肢ではなく、むしろ個人が主体的に選択した「アウェイ」にこそ価値があるとも言える。つまり、組織としては、越境学習が促進されているとミドル・シニアが感じられるような組織文化づくりこそ、取り組むべき課題なのである。こうした組織文化をどのように形成していくのか、この課題への知見を蓄積していくことこそ、今後、組織がミドル・シニアのキャリア開発に取り組んでいくための鍵になるだろう。
石山 恒貴 教授
NEC、GEなどにて人事労務を経て、現在、法政大学大学院政策創造研究科教授。博士(政策学)。
その他、NPOキャリア権推進ネットワーク研究部会所属。
主な著書
『パラレルキャリアを始めよう!』ダイヤモンド社、2015年
『組織内専門人材のキャリアと学習』日本生産性本部生産性労働情報センター、2013年