2017.04.03 個人の活躍
女性活躍推進「ロールモデル一期生」として、社内外で活動
今から約10年前。女性活躍推進の黎明期ともいえるこの時期に、女性管理職となった佐藤真琴さん。社内外でロールモデルとして活躍したこれまでと、今思うことをお聞きしました。
目の前のことに懸命に取り組んだ40代。
社内でも社外でもロールモデルに
---これまでずっと「一期生」のキャリアを歩まれたそうですね。
1985年に地元のメーカーに入社しましたが、大卒女子の採用一期生でした。「四大にいくと就職先がないよ」といわれていた時代です。前例がなかったので、高卒の人たちと一緒に新人研修を受けました。翌年の1986年に男女雇用機会均等法が実施され、研修や給与などは大卒男子と同じ扱いになりました。その後も何かと、一号、一号...でしたね。大卒女性の同期はもう一人いましたが、寿退社しました。当時は結婚したら仕事を辞めるのがスタンダード。私もその後結婚しましたが、「大卒はすぐ辞めるから採らない」と言われるのが嫌でがんばっていたら、今にいたった、というところです。
---社内ではどんな仕事をされてきましたか?
入社後は、開発部門のアドミニをやっていました。2007年、人事に異動となり、管理職に昇格。ダイバーシティ担当になりました。男性社員が圧倒的多数の製造業なので、当時、女性管理職は3~4人程度でしたから、これもほぼ一期生といえると思います。2013年からはグローバル広報部へ異動し社内広報を担当。2016年12月に人事部へ戻りました。
現在は、人材育成チームと、若手から次世代リーダーを発掘して育成するチームに属しており、主に若手社員と面談をしています。人材育成では、総括(最初のリーダー職。その先に課長補佐、課長がある)層向けのトレーニングコースの社内講師を担当しています。
---管理職になったときのお気持ちはいかがでしたか?
正直、「辞めたい」と思っていました。当時は「ダイバーシティ=女性」だったので、女性管理職をいかに増やすか、という流れの中で管理職になった。職場が変わり、職位も変わり、突然部下になった人たちが「決済してください」「ハンコをください」とやってくる。けれども判断ができないんですよね。管理職としての価値を提供できているのか、不安で苦しくてたまりませんでした。プレッシャーを背負いきれなくなって、会社を休んだときもあったくらいです。
どん底から抜けられたのは、コーチングを学び始めるとともに、自らもコーチングを受けるようになったこと。そして、主人からの「ダメなら辞めればいいよ」という言葉でした。私の翌年に昇格した女性管理職も相談相手になってくれて......周りの支えに助けられ、じょじょに自分のスタイルを構築できたのも大きかったですね。
---「自分のスタイル」とはどのようなものですか?
「男性管理職とは違う、等身大の女性リーダー」です。「管理職になりたくない」という女性たちは、どうしても男性管理職しかお手本がないので「あんな風にはなれない」と言うんですよね。また、当時はダイバーシティの講演会などに行くと、登壇されている女性管理職は華々しいキャリアをバリバリと歩んでこられた方が多くて。それもいいけれど、その人なりの落ち着き場所があるだろうし、「等身大の管理職がいてもいいんじゃない?」と思ったんです。
同時に、後輩からみて「憧れの存在」にもなりたかったので、いつもキラキラ楽しんでいる管理職像に近づけるよう努力もしました。実は一度、スタイリストに相談して、髪型やファッションを大きく変えたんです。それまで着ていたジャケットの形を変えたり、色を変えたり。ダイバーシティを推進する女性管理職にふさわしい自分を創っていきました。新しい自分の発見にもなったので、役割に合わせて自分を変えていくのは楽しかったですね。
---その流れで、ロールモデルとして多様な活動をするようになったのですね。
ダイバーシティ担当でしたから、情報収集でいろいろなところに出向くと、社外の方々とご縁ができるようになりました。たとえば、静岡県の男女共同参画プロジェクト「さくや姫プロジェクト」など、県や市の取り組みに呼んでいただいたり、「女性社員が管理職になりたがらない」という悩みを抱える企業さまに呼んでいただいたり......社外の女性たちにもメッセージを発信する機会を得るようになりました。
もともと管理職になりたくてなったわけではないけれど、なってみたら良さがある。「それを伝えるのも私の役割だ」と気づきました。社内では、極力女性社員と面談して、「管理職になりたくない」という人がいれば「やってみるのも悪くないよ」と伝えたり、「今の男性管理職をみていると、あんな働き方はできない」という人には「あなたが男性っぽく働いたらダイバーシティではないよね」とハードルを下げてみたり。社外での講演会でも、「あなたらしく働いてほしい」というメッセージを伝え続けました。
---ロールモデルとしての活動で得たことは何でしょうか?
「情報と出会い」、そして「価値提供の場」です。情報は、動いた先で入ってきます。社外活動をすることで、社内にいるだけでは気づけなかったものをたくさん得ることができました。また、2014年からは静岡県がやっている「さくや姫サミット」のワーキングチームに入って活動していますが、そうそうたるメンバーとご一緒できるんです。テレビ局アナウンサー、会社役員、旅館の女将など、異業種の方々との刺激的なご縁が得られています。
「価値提供」というのは、ミドルエイジだからこそかもしれません。社外活動をすること自体は、若い時でもミドルでもぜひやった方がいいと思いますが、ミドルになってから社外活動をすると、なんらかの経験が周囲の方のお役に立てます。ワーキングチームの会議などで行き詰ったりすると、私なりの経験からくる解決策を提供できたり......そういう好循環が生まれるのはうれしいものですね。
ミドルシニアだからこその役割は
「引き継ぐこと」と「人生を楽しむこと」
---ご自身のビジネスパーソン人生で得た「財産」とは何でしょうか?
「人とのご縁」と「コーチングスキル」だと思っています。
まず、これまで担当してきた仕事を通じてたくさんの方々とお会いできたことが、私の財産です。たとえば、開発管理部のアドミニ時代には新入社員の教育を担当していましたし、その後は人事、社内広報ですから、とにかく多くの社員と面談したり会ったりするわけです。財産と呼べる特別な知識は持っていませんが、「困ったときにはあの人に聞けば」「あの人が助けてくれそう」と思いつく顔がたくさんある。だからこそ、仕事で困っている新人や中途の方々にそういう人をつないで、サポートしてあげたいと思っています。
コーチングは、管理職になったときに自己研鑽として自腹を切って学びだしたのですが、非常に役立ちました。人事での社員面談、広報として社内報取材などをする際にもコーチングスキルを活用しました。また、「インプットだけでなく、アウトプットすることが学びになる」とコーチから聞いたので、社内のコーチング研修講師に立候補。そうすることで、受講者とつながり、また社内の人脈が広がる......という循環も生まれました。
両方とも、そのただ中では「財産にするぞ!」などと思ってもいませんでしたが、何年か後に振り返るとすべてがつながっていて、「あのとき一生懸命やってよかったな」と思いますね。
---ご自身の「今」の「役割」はどんなものだととらえていますか?
これまでは、「女性のロールモデル」と思ってきましたが、そろそろ卒業かなと思っています。女性の活躍は引き続き応援したいですが、横からサポートする感じで。公の場で講演したり会議に参加したりするのも、いつも私ばかりが恩恵にあずかってきましたから、そろそろ次の人に引き継ぎたいですね。
今の私の役割は、「引き継いでいくこと」だと思うんです。たとえば、これまで培ってきた人脈を、自分自身のためではなく若手が困っているときに紹介するなどして使う。昇格して悩んでいる人がいたら、「環境変化に慣れるには半年くらい必要だから、今はそのときだよ」と、自身の体験に基づいて言ってあげる。若手や部下を育てていく中で、自分の持てるものを伝えていくことが、今の私の役割ではないかと思っています。
また、異動したばかりの今の仕事では、面談や研修で若手と触れ合う機会が多いので、人材の発掘に貢献するのも重要なお役目だと思っています。過去の人事経験、広報経験から、派手に活躍しているわけではないけれどコツコツといい仕事をしている人に光をあてて、みんなのモチベーションを上げる動きをするのも、私にできることだと思っています。そこに、女性活躍推進の経験やコーチングのスキルが活かせたらより幸せですね。
---あらためて、「ミドルシニアのキャリア形成」で大切なことは何だと思いますか?
難しい質問ですね。私自身、目標に向かってキャリアを形成してきたわけではないので......ただ、何十年も生きてくると、積み重なっているものはあるはずです。けれども、自分自身では気づけないんですよね。「自分自身の価値は、自分以外の人が気づいてくれる」というのが私の持論。だから、「他者のフィードバックをもらうこと」かもしれませんね。
たとえばこの取材でも、お話することで気づくことがありますよね。私はコーチについてもらっているので、話すたびにフィードバックをもらうのが気づきになっています。管理職になると社内の人に話せないことが増えてくるし、聞いてもらってフィードバックをもらうことで整理ができる。月2回のセッションは、必要な投資だと思っています。
---今後の目標や、やりたいことは何ですか?
プライベートの充実に意識がいっています。実は今年の4月で、主担(課長職)からプロフェッショナルスタッフという役職に降りることになったんです。自分の役割がひとつ終わった、という気持ちでいます。果たせること、やれることは精一杯やってきたので、これからはもうちょっと、自分のことや家族との時間を大切にしたいと思っています。広報時代は、住まいの静岡から横浜まで新幹線通勤をしていたので、夫が夕飯づくりや洗濯やらをやってくれたので、負担をかけた分これからは恩返しもしたい。これまでは、役割に合わせた自分。ここからは、自分らしい自分。培ってきたものを周囲に分けて、今の自分ができることをやっていく。そんなイメージです。
定年まであと5年。からだの動くうちに、行きたいところへも行っておきたいですね。鉄道が好きなので、ローカル線に揺られる旅をたくさんしたい。今後無くなってしまいそうな路線や素敵な観光列車など、乗っておきたい列車はたくさんチェックしてあります。主人はそういうことに興味がないので、もっぱら一人旅。ずっとこれまで忙しくしてきたので、元気なうちに目いっぱい楽しみたいと思っています。
プロフィール
佐藤真琴さん静岡県生まれ。1985年地元のメーカーに入社。2007年人事部に異動し管理職としてダイバーシティ推進、人材育成等を担当する。その後、グローバル広報室を経て、再び人事部へ。生涯学習開発財団認定コーチ。2014年より静岡県男女共同参画課による「さくや姫プロジェクト」に参画。