2017.07.03 個人の活躍
流れの中で学び続けることで作られるキャリア
様々な団体、人との関わり、学びを通じてご自身のキャリアを作られてきた田中潤さん。これまでどのようなスタンスで取り組んでこられたのかをうかがいました。
ねらって作ったというより、断らなかったことで開かれたキャリア
---お勤め以外にも、たくさんの活動の場をお持ちのようですが、この活動は田中さんにとってどんな意味があるのでしょうか?
食・ビジネス・HR・キャリアの4分野に興味があり、「真のナポリピッツァ協会日本支部」「にっぽんお好み焼き協会」「一般社団法人 経営学習研究所」「キャリアデザイン学会」などといった団体に関わってきました。ここでの活動といっても、それが私の生活の中心というより、「趣味」として取り組んでいます。「趣味」というのは、意図的に時間を割いてでも自分がやりたいことで、忙しくてできないと少しイライラするものではないかと。また、趣味は一人でやることが楽しい人もいれば、誰かとやらないと成り立たないものもあります。私の場合は誰かとやる方の活動をしていて、例えば、土日の休みの草野球みたいな感覚でやっています。平日仕事を目一杯しているので身体が疲れていますが、それでも好んで関わっていることなので出かけてしまう、というような感じでしょうか。仲間と一緒にやるのが楽しいということが、精神的にも肉体的にも健康にもいいので習慣化したのではないでしょうか。
私自身は、この活動で何か新しい役割を担っているとか、担わなければならないとかいった感覚は持っていないんです。新しい役割を何かやらなければならないという強迫概念があると、かえって二の足を踏むのではないかと思いますし、私は、楽しく興味のあることに趣味のように取り組んでいけばいいのかと。
---そういった活動はどのようにして始めたんでしょうか?
何かを自分から取りに行こうとして始めたのではなく、基本的には自分のところにきた流れに身を任せていく中で今の役割が出来上がっていったという感じです。もともと頼まれたら断れない性格だったということもありますが、自分のところに面白い話が来た時にそれを断ってしまって、他の人がやるというのもつまらないと思うわけです。
「真のナポリピッツァ協会日本支部」は仕事関係から始まりました。日清製粉に勤めていた当時、バルティノベというナポリピッツァの店を運営している会社に出向したのがきっかけです。このお店は独立でナポリから審査員を招いて真のナポリピッツァ協会の認定を受けていたのですが、当時、認定を受けるには個別にイタリア語で申請したり、イタリアから先生を招いたり。申請費、渡航費など含めて100万円単位の費用がかかるわけです。これでは認定を受けるのも一苦労ですし、なかなかこの認定が日本に広がっていかない。美味しいピッツァの店も増えない。そこで、認定済みの16店に日本支部を作ろうと声をかけ、ネットワーク化したのが当時の会長・副会長です。ようやく日本側のスキームが出来上がり、いざ活動を始めるということになったのですが、その時に規約作りといった事務仕事なども必要になり、それをたまたま同じ会社にいた私が引き受けて、初代事務局長を務めることになったというわけです。協会の規約づくりは会社の就業規則をつくるのと大してかわらない仕事ですからね。
ナポリピッツァ協会の活動が始まった後、たまたま仕事では大阪に行く機会ができてきて、お好み焼き協会の佐竹会長と知り合いました。佐竹会長とは何度かお会いするうちに、お好み焼き協会の運営についてお話をすることが増え、協会運営のアドバイスさせていただくことも。ちょうどこのあたりで私がぐるなびへ転職したこともあり、そのご挨拶にと伺ったところ、お好み焼き協会理事になって欲しいとお願いされて、理事を引き受けしました。
いずれにしても、自分で意志決定した訳でもなく、そして何かやりたいとか、やってやろうという気持ちがあって始めたわけではありません。流れに関わっていく中で結果ができてきたということです。もちろん関わる流れは興味があるものに限ります。興味ある事柄には刺激がり、常に学びがありますからね。そういう場には、できれば全て参加したいと思っているので、予定を組む際には自分の予定を念頭に置きながらスケジュールを組むのに一番適しているということで、幹事や事務局をよく引き受けます。一時期は趣味"実践共同体"と言っていたくらい、実践の中で学ぶことが好きですね。あとは、何でも一期生になるのが大好きですので、面白そうな流れにはまず最初に関わってしまう性分です。一期生は常に追い抜かれることがないですから。
興味から学びを継続することが今につながっている
---興味を持った流れに関わり、実践的に学び続けている、というようなことは以前から行っている事なのでしょうか?
以前の職場で、勤めていたメンバーが社会人大学院でカウンセリング心理学を勉強しに行くということがありました。以前から私もその分野には興味があって、勉強したいと思っていたのですが、なかなか踏み出せずにいました。そのメンバーが次はGCDFキャリアカウンセラーの資格を取る、なんて話をし始めたのを聞いて、なんだか悔しくなって、そのメンバーより先にその資格の講座に申し込みました。
キャリアカウンセラーの勉強をしたことで、この分野の理解をもっと深めたくなり、次は慶應MCCの花田光世先生による『キャリア・アドバイザー養成講座』を受講しました。この講座の事務局をされていた方を私は「世界の事務局」といって尊敬しているのですが、転職した直後にその方から東京大学の中原淳先生の講座「ラーニングイノベーション論」を立ち上げると聞いたので迷わず一期生として申し込みました。この行動が後の経営学習研究所への参画につながります。こういった中で広がっていったネットワークからも新しい興味や関係の流れができてきました。
---以前から、そういった場に入って、関係性をつくることがお得意だったのでしょうか?
小学生の頃、父が転勤族だったことが、もしかすると関係するかもしれません。父が二年に一回異動していたので、私もそれと同じタイミングで転校していました。しかも、異動は七月でしたので、私の場合、一学期の終わりで転校前のクラスにさようなら。二学期の始業式で新しいクラスでこんにちは、となるわけです。そうなると、二年に一回夏休みは一人ぼっちで過ごすことになります。転校生というのは「ここでのしきたり」みたいなものを教えてくれる友達がいないと最初はサバイブできないので、まずは新しい場所で関係性をつくらなくてはなりません。だから、生き抜いていくために転校のたびに新しい環境で新しい関係づくりを何とかしていくということが起きていて、その繰り返しが自然と関係づくりの仕方を私に覚えさせたのではないかと。でも、二年に一度転校していたので、どうしてもその関係は薄く広いものになりがちです。だから深い関係性をつくる方はここでは身につかなかったみたいで、実は今でも苦手です。
---そういう経験が、今の興味などにもつながっているのでしょうか?
今、興味があることの一つが酒場巡りです。ある尊敬する飲み手の方が「酒場浴」といってますが、森林浴のように酒場のあの雰囲気を浴びてリフレッシュできます。それに加えて一人で飲むことでリフレクションができる時間として酒場に出向きます。敷居が高いお店に行く時はドキドキ感がたまらないですね。常連ばかりの店の引き戸を開いたときに常連の皆さんがジロっと見る。転校のエピソードも同じような感じで、始業式に夏休みの話題で盛り上がっているクラスに先生に連れられて入る。転校生として教室入口の引き戸を先生が開けたときに、みんなから刺さってくる目線は、まさに常連だらけの酒場でのそれと同じ。そんな中に入り込んで会話ができたときの愉しみもまた格別です。私はSF小説が好きですが、ディープな酒場で感じるのはSFが提供するsense of wonderみたいな感覚です。
今の流れを後につなげるために
---これから先、どういうことに取り組みたいですか?今後の人生観などについても教えてください?
今でも流れに乗っているだけで、これから「何をやりたい」というのは、実はいつもないんですが、今の私の基本欲求として「世代継承欲求」があるとは思っています。今の会社を選んだのは、比較的に平均年齢が若いことや人事のいろいろな仕組みをこれから作っていくという状態にあったという理由からでした。若い世代に何か残せることがあるのではないかと。
会社の新入社員育成も好きですね。育成するといっても、ただこうあるべき、こうやるべきといった「べき」を押し付けてはダメだと思っています。彼ら、彼女ら自身が、それぞれに大切なことは何だろうと考えて、自分で目を見開いて流れの中に飛び込んで、身を任せてみる。そういうことができるような道筋をつくるのが私のやっていることかもしれません。
二の足を踏んでいることは無理してやってはいけません。二の足を踏んでいるのには、それなりの理由があるかもしれない。でも、耳を澄ませて流れの音を聞けばやった方がいいことが見えてくるかもしれない。私が教えることなどおこがましいことですから、自分も負けずにちゃんと生きていければと思います。
プロフィール
田中 潤さん 1985年に大学を卒業し、日清製粉株式会社に入社。その後、46歳で株式会社ぐるなびに転職。現在、同社上席執行役員 管理本部 人事部門長、障がい者特例子会社である株式会社ぐるなびサポートアソシエの代表を兼ねる。経営学習研究所(MALL)理事、慶応義塾大学キャリアラボ登録キャリアアドバイザー、GCDFキャリアカウンセラー、キャリアデザイン学会理事。にっぽんお好み焼き協会理事。