「役割創造project」とは、キャリア発達・キャリア開発とその支援という観点から、日本のミドル・シニア人材の「働き方改革」をライフワークスらしく実現していく取り組みです。

2017.07.17 個人の活躍

「越境」の活動や学びで自らの強みを見つけ、社内でも社外でも頼られる存在に

「越境」の活動や学びで自らの強みを見つけ、社内でも社外でも頼られる存在に

勤務先でキャリアを確立しながら、自身が培ってきた会議運営ノウハウを生かして社外でも活躍している吉田純一郎さん。現在の充実した毎日の裏側には、社外勉強会やスクールといった「越境」での活動や学びがあったようです。

社外パートナーからの言葉で、自分の意外な適性に気づいた

---ご勤務先では知財法務部門で組織開発や人材育成、働き方改革などに取り組まれているそうですね。ずっと人事系のキャリアを歩まれてきたのですか?

もともとは生産技術部門のエンジニアで、地方の工場で、化学製品を製造する機械の研究・開発、管理を担当していました。ところが、入社12年目くらいに知財法務部門に異動になりましてね。作業服にヘルメット、首にタオル巻いて機械油で爪を真っ黒にしながら現場で走り回っていたのに、いきなり本社でスーツ着てライセンス交渉ですよ。

正直なところびっくりしましたが、この異動が転機だったように思います。知財法務部門では最初は研究開発部門から出てくる発明を特許にする業務を中心にやっていました。そんなある日、突然、上司から外国での訴訟案件をハンドルせよとの指示が。関係する社内各部門の管理職も含めたメンバーや国内外の法律事務所の弁護士とチームを組み、そのリーダーを務める仕事を任されました。

その頃の知財法務部門は専門職の世界で、一人仕事と言うか、組織を超えたチーム活動には縁が薄く、まして、当時は平社員ですから、青天の霹靂です。しかしやってみると、苦労以上に面白さを感じました。共通目標、目線を作り、メンバー各々が得意技をベースに補いあって仕事をするとか、成長していくとか、肩書きや年齢を超えたチーム活動のダイナミズムを感じるようになったんです。約3年に及ぶこの訴訟が終わり、チーム内の外国の高名な弁護士が「このチーム、特に吉田のリーダーとしての振る舞いは素晴らしかった」と言っていたと知り...。ひょっとすると、自分はチームで仕事ができるように、人や物事を動かす適性がありそうだ、ひいてはチーム活動が機能するための風土作りや、チームで活躍できる人材を育成する分野で力を出せるんじゃないかと考えるようになったんです。実はこれが上司の隠された意図だったのかもしれません(笑)

当時の知財法務部門は、もっとメンバー間や他部内とのつながりを持てば、より強い組織となり、企業利益にも結びつく。日頃からそう感じていたこともあり、上司に「部門内の組織開発や人材育成の仕事を専門的にやりたい」と何度か掛け合い、ついに40代半ばから部門内で人事系の仕事を担当するようになりました。その後、異動や、役職定年(55歳)を迎えるなど環境の変化はありましたが、私自身の携わっている仕事は一貫して人事系、特に組織開発・人材育成系です。

---40代半ばでご自身で主体的にお考えになってキャリア転換されたのですね。キャリアを考える上で、ご自身の年齢も意識されていましたか?

当時は深く考えていませんでした。ただ、部門内でコーチングのセミナーを実施したことがありましてね。その時にお世話になった60代の講師の方が、休憩時間に私に「自分は40代半ばに50代、60代のキャリアを考えた。あなたも今から準備をしておくと、慌てずにすみますよ」とお話ししてくれたんです。この言葉がトリガーになって、40代後半からは「自分の専門性は何か」「何で会社に貢献できるか」、そもそも「やれる事でなく、やりたい事は何か」という問いが絶えず頭のどこかにあったように思います。


社内に蓄積のない手法や知識を求めて、社外へ

---現在はファシリテーショングラフィック(*)などご自身の会議運営ノウハウやコーチングスキルを生かして勉強会を開くなど社外でも活躍されています。社外活動のきっかけは?

*会議などの参加者の認識を一致させるために、その場でリアルタイムに発言を記録・図式化したもの。

rc_p_170710_3.jpg知財法務部門で組織開発や人材育成を担当するようになり、人材育成や組織をより活性化するための新しい手法や知識を得たいと思い、まずはコーチングを学ぼうと。そこでPHP研究所のコーチングスクールに通いました。結果、資格を取得できましたが、最も大きかったのは、恩師を含めた様々なバックグラウンドを持つ人たちとの出会い。自分も含めた学びの仲間の間の「違い」や「コントラスト」が刺激になりました。また、コーチングという共通の興味を持った人たちの集まりなので、親しい友人もできましてね。今でも誰かが困ったらLINE一本で集まれる!って感じです。ある時、友人達から「吉田のノートの取り方ってすごいね」と言われたんです。僕は学生時代から、図やイラストを使って視覚的にノートを取っていて、会社の会議でもホワイトボードに同じように書くんですよ。

---拝見しました。すごいですよね。

ありがとうございます。ただ、自分ではどこがすごいのか、全くわからなかったんです。だって、普通、こう書くでしょうって(笑)。ところが、こうやって評価してもらって、もしかしたら、これも自分の持ち味なのかなと。会社でも「吉田は会議で発言を整理、表現するのがうまいね」などと言われていたこともあり、友人に紹介してもらった「NPO法人日本ファシリテーション協会」に入り、ファシリテーショングラフィックのやり方、会議運営ノウハウや組織活性化の手法などを仲間たちと研究やトライアルをするようになったのがとても刺激的でした。


「越境」で見つけた強みが好循環をもたらし、勤務先でのキャリアを確立

---社外活動による「越境」で、ご自身の強みをさらに見つけたんですね。社外活動はご勤務先のお仕事にも影響を与えていますか?

影響はかなりあります。スクール、セミナーや協会で学んだこともそうですけど、やはり大きいのは社外活動で出会った人たちとの交流から得た知恵、情報やスキル。そういったものを勤務先の文化に合うようアレンジして仕事に使い、貢献できたってことですね。ここ数年ヨガ、そして名画を模写するえんぴつ画に結構ハマっているんですけど、そこで得られる身体感覚、右脳的着想なども、論理的、精緻に仕事を進めていく上でスパイシーに役立ってます。異業種交流会の幹事もしていますが、そこで培った生きた人脈もとても頼りになります。

ひとつひとつのコンテンツはともかく、それを一連のコンテクストとして纏めた会議運営のノウハウは、誰かに教えてもらったのではなく、僕自身でトライ&エラーをしながら培ってきたもの。社内でも評価してくれていた人たちがいましてね。ちょうど社外活動で会議運営に興味をもちはじめた頃、会社でも(知財法務部門から)経営企画部門に移って、そこで、「本業以外に、『会議改革』の旗振り役もやってくれないか」と言われました。2010年くらいだったと思います。当時、うちの会社は業務効率化を進めており、1000人位の社員にアンケートを取ったところ、効率が良くないと思われる業務のトップ3の一つに「会議」が挙がったんです。そこで業務効率化という枠組みで「会議の効率化セミナー」を自分のノウハウを下に企画から立ち上げて社内講師までやりました。人前に立つわけですから、話し方研究所に通い、話し方を立ち居振る舞いも含めて学びました。実施部門は限定的でしたが、効果はいろいろ出ましたよ。中でも、会議時間が短くなったという声が一番多かったですね。

---現在の「働き方改革」の先駆けですね。

rc_p_170710_4.jpgはい。
ただ、「働き方」というのはドラスティックには変わりません。昨年、古巣の知財法務部門に戻りましたが、それまで組織活性化やお話した「会議の効率化セミナー」に携わっていたこともあり、本業とは別に、本社部門の「働き方改革活動」に裏方的立場で参加しています。最近、この活動の柱として改めて「会議の見直し」活動を表舞台で始めました。
これは『会議改革』を、ご指摘の「働き方改革」という枠組みの中で再定義して、広く展開するという活動です。会議で起きる様々な問題の根っこは、組織風土に起因している場合が多いでしょうから、そこまで活動が広がると、尚、良いですね。私のスキルを更に深耕してくれる優秀な女性の後継ぎもできたので、今後の展開が楽しみです。


「影響を与えたい」から、「みんなが元気になるのがうれしい」へ

---社外での会議運営の勉強会はどのくらいの頻度で開催されていますか?

だいたい2~3か月毎ですね。社外活動を始めたころ、僕のモチベーションの源は「人に影響を与えたい」「感謝されたい」という承認欲求系だったと思います。今はちょっと違ってきたかな。勤務先でも社外活動でも、会議運営に限らず、組織を強くするためのヒントや手法をお伝えすると、皆さんがそれを実践して元気になっていく。そして、いつの間にか僕がいなくても皆さん自身で自走していけるようになる。存在を感じてもらうより、消えていく方がうれしいんですよ。身近な例だと、会議や組織活性化のワークショップなどで、雇われファシリテータを良くやらせて頂きますが、事前のシナリオと当日の場を作るだけで、後は、ほとんど座っているだけです。これでちょうど良いんです。終了時に「吉田さんのおかげで」なんていわれると、逆に「かっこ悪いなあ!、まだまだ修行が足りん!」なんて思います。ちょっと枯れすぎですかね(笑)

---会議運営などのノウハウをもとに独立を考えたことは?

プロとしてすごい方たちをたくさん見ていて、今はまだ自分はそのレベルにないと思っています。それに、会社が好きですしね。ただ、「定年後も自分にはこれがある」と感じられるのはとても心強いことですし、勤務先での意欲にもつながっています。

経験を因数分解すれば、誰もがキャリア資産を持っている

---吉田さんのように活躍し続けたいと思いつつも、今後のキャリア展開をどう考えればいいのかわからないミドル・シニアの方は多いと思います。

rc_p_170710_2.jpgそうかもしれません。社外でコーチングの活動も時々行っているのですが、将来について悩んでいるミドル・シニアの方々が多いです。例えば、「ずっと人事畑だったから、人事以外の仕事ができない」と考える方ですね。そういう方には、お付き合いさせて頂いたキャリア系のコンサルの方の言でもありますが、「経験してきた仕事を因数分解するとどうなりますか」と質問させて頂くことがあります。ご自身で手掛けた仕事を因数分解すれば、「人の話を聞く」「制度の仕組みづくりをする」「教育をする」など人事畑以外でも使える様々なスキルや経験を持っていることに気づくはずです。さらに、かつては持っていたけれど大人になるにつれて封印してきた好きなことや得意なことを組み合わせれば、意外な可能性も。僕も子供の頃からイラストを描くのが好きだったり、ノートを視覚化して書いていましたが、まさかそれが今につながるとは思いませんでした。年齢を重ね、経験を蓄積するというのは捨てたもんじゃないですよ。キャリア資産というのは誰もが持っているんです。


プロフィール

吉田 純一郎さん1958年生まれ。大学では機械工学を専攻。82年卒業後、大手メーカーに入社。生産技術部門を経て、知財法務、経営企画、人材育成、組織開発業務などに携わる。一方で、2000年ごろから異業種交流会や人事系のセミナー、コーチングスクールや話し方教室など社外での学びを活発化。「会議のファシリテーションがうまい」と言われた事をきっかけに、自身の会議運営のノウハウを「会議をよりクリエイティブに、効率的に」をコンセプトにパッケージ化し公開講座などで広く提供している。「ホワイトボードで創造会議」主宰、PHP研究所認定ビジネスコーチ、C.N.S話し方研究所認定話し方インストラクター、Herrmann International 認定ハーマンモデルファシリテーター。

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