2017.12.01 個人の活躍
会社の構造改革をきっかけにキャリアを見つめ直し、将来の可能性が広がった
会社の不採算事業からの撤退に伴って自分がいた部署がなくなり、早期退職者が募集される−−−−−−。そのような局面で転機を生かし、社内での新たな仕事に挑戦するとともに社外にも活躍の場を広げている宇都宮雄一さんにお話をうかがいました。
20年間培ってきた技術スキルを「捨てる」という選択
---宇都宮さんはもともと、エンジニアとしてキャリアを重ねてこられたんですよね?
はい。子どものころから理数系科目が好きで、大学の工学部に進み、半導体の開発を行う今の会社にエンジニアとして入社しました。パソコンを使ってカタカタとやるのは好きでしたから、大きな不満はなかったです。何の疑いもなく、同じ組織で同じようなことをやっていました。
ところが、日本の半導体市場の縮小に伴って会社のビジネスも厳しくなってきましてね。所属部署で手がけていた事業が失敗。同時に、会社の構造改革で設計・開発チームが切り出されて別会社となり、早期退職者の募集が行われる状況になってしまったんです。ものづくりにダイレクトに携われる仕事がなくなってしまったため、早期退職を決意したエンジニアも少なくありませんでしたが、私は会社に残り、マーケティング職に携わりたいと志願しました。ちょうど入社20年目のことです。
---エンジニアとして転職することは考えなかったんですか?
ビジネス環境の激変を体感し、半導体のエンジニアとしてのキャリアには将来性を見出せなくなっていました。また、エンジニアの仕事は、あらかじめ決められたものを設計したり、開発するということに終始しがち。自分が関わっていた事業が右肩下がりになっていく中で、受け身の仕事しかできないもどかしさも感じたことから、もう少し能動的に顧客価値を生み出していくようなことをしたいという思いもありました。だから、それまで培った技術スキルを捨て、イチからやり直そうと考えたわけです。とはいえ、僕はずっと技術畑でしたから、マーケティングの知識はゼロ。周囲にもマーケティングに精通した社員はいませんでした。
「第二の会社人生」を拓くための学びをきっかけに、世界が広がった
---マーケティングの知識はどのように勉強されたんですか?
最初は経営やマーケティング関連の書籍を手当たり次第に読みました。そのうちに出合ったのが、ビジネスモデル・キャンバスというフレームワークを用いて事業開発や戦略デザインを行う手法を説明した『ビジネスモデル・ジェネレーション』という書籍です。僕は物事を説明したり、構造化することに苦手意識があったのですが、このフレームワークを使ってみると自分が考えたビジネスモデルを俯瞰でき、うまい具合に説明ができた。すっかり気に入って、もっと知識を得たくなり、この書籍の翻訳者の方が代表理事を務める「ビジネスモデルイノベーション協会(以下BMIA)」に入会したのが、社外での勉強を始めるきっかけになりました。
---ビジネスモデルコンサルタントの認定資格「BMIAコンサルタント」もお取りになっていますよね。ビジネスモデルの構築スキルを身につけることで、会社の仕事への影響はありましたか?
それが、会社にはビジネスモデル・キャンバスのすごさに共感してくれる人が少なくて、不思議だなあと(笑)。ただ、僕自身が会社のビジネスモデルを俯瞰できるようになったのは大きな収穫だと思っています。それから、「BMIA」のセミナーに参加することで講師の方や他の受講者の方から刺激を受けて自分に足りない力に気づかされて、さらに勉強するという好循環もできました。読書会のファシリテーターの認定資格「Read for Action協会ファシリテーター」を取ったのも、「BMIA」で読書会を効果的に使って学ぶ手法が取り入れられており、関心を持ちました。
「撤退」や「惨敗」も経験しながら、自分の方向性が見えてきた
---プロボノなど社会問題を解決するための社外活動にも参加されているようですね。
生業とは別に、社会のために何か活動している人たちに以前から憧れはあったんです。元商社マンによる地方再生を描いたドラマ「プラチナタウン」を観て、「定年後は自分も社会活動をしてみたいな」なんて思ったりして。ただ、きっかけがなくて。
それが、社外に一歩出て勉強したり、さまざまな人たちとお話ししたりするうちに、勢いづいたんでしょうね(笑)。地域デザインやプロボノの講座に参加して、特定の地域の課題についてケーススタディをしたり、婦人用革製バッグメーカーへの事業提案などを経験しました。会社ではトップダウンで伝えられたミッションを決められた日までにこなすという仕事が多かったのですが、これらの講座では、自ら課題を発見し、社会に通用するアウトプットを出していくことが求められ、刺激的でした。一緒に活動したメンバーの職種もIT、会計、広告、看護など幅広く、それぞれの知見を活かして活動していくというのが非常に面白かったです。
ただ、これまでやってきた社外の勉強や活動のすべてがうまく行ったわけではなくて、僕は結構、「撤退」や「惨敗」したりもしているんですよ。
---「撤退」や「惨敗」ですか。
はい。興味を持って講座を受講したものの、難しくて全く頭に入ってこず、受講料を棒に振ってしまったり、ある地域の活性化プランコンテストのチームに参加したものの、プロジェクトの進め方が肌に合わなくて十分に貢献できなかったこともあります。そういった経験をしながら、少しずつ自分の方向性や、力を発揮できそうな場が見えてきた感じです。
会社への「不満」を前向きな「課題」として捉えられるようになった
---最近では、読書会のファシリテーションや、ビジネスモデル・キャンバスの講師としても活動されているとか。
自分では「ソロ活動」と呼んでいるんですけど、ありがたいことに、「BMIA」やプロボノの講座などで知り合った方から機会をいただくことができました。参加してくださった方からの反応は良くて、嬉しいです。
---独立や起業に対する関心は?
社外での勉強を始めた当初はどちらかというと「会社の仕事に役立てたい」という思いが強かったのですが、今は「いずれ起業したい」という気持ちがあります。これは、社外の方たちの交流を通して、起業されている方、起業を志す方、会社員として働きながら副業でも活躍されている方などに出会い、さまざまなキャリアの形を知ることができた影響も大きいと思います。
一方で、社外で活躍されている皆さんと比較すると、僕はまだまだ足りないことが多いと痛感しています。自分を変えていくには勉強だけでなく行動を起こさなければいけませんが、僕はその「行動」が苦手。「ソロ活動」も声をかけてもらっていなければ、実現していなかったかもしれません。そこで、自分から行動を起こすための自信にもなればと、MBA取得に向けて大学院で勉強を始めたばかりです。
また、不思議なことに、社外活動をするようになって「会社を辞めたい」とはあまり思わなくなりました。以前の僕は、どちらかというと会社のやり方に批判的な見方を持っていて、転職を考えたこともあります。でも、社外に出て広い視野から会社の事業を見渡せるようになると、魅力が見えてきた。不満に思っていた点も「課題」や「改善点」として前向きに捉えられるようになったんです。
「75歳まで働く」と考えれば、ミドル期はまだキャリアの折り返し地点
---会社でのキャリアの転機をきっかけに社外の活動を始め、ご自身の仕事観に変化はありましたか?
エンジニア時代を振り返ると、受託業務が多く、できたものを渡して喜んでもらうことが仕事のゴールだと考えていました。あとは、休日に楽しく遊ぶことがモチベーションでしたね。ところが、最近はあまり休日のことを考えなくなりました。休日も楽しみだけど、心待ちにするものではなくなっている。きっと、平日に働いたり、社外で活動する時間が充実しているんでしょうね。
会社の構造改革は僕にとって大きな環境変化ではありましたが、あの時に自分のキャリアを見直し、「同じことの繰り返し」から脱却できて良かったと心から思います。エンジニアとして順風満帆のキャリアを歩んでいたら、僕の場合、社外で勉強したり、活動しようとは考えなかった気がします。それでも大きな問題はないかもしれませんが、変化は何もなかったでしょう。それではもったいないし、自分の意思ではどうにもならない環境変化に出合った時の対応力も培えない。何より、流れ仕事に身を置いていた40代前半の自分よりも、今の方がはるかに楽しいです。もっと早く気づいていれば良かったと思いますね。
とはいえ、「75歳まで働く」と考えれば、ミドル期はまだキャリアの折り返し地点。僕は現在48歳ですから、まだまだこれから。いくつになっても変化を恐れないでいたいと思っています。
プロフィール
宇都宮 雄一さん 1969年生まれ。1992年、北海道工業大学応用電子工学科卒業。同年、半導体の開発を行う会社に入社。エンジニアとしてキャリアを積む。2009年より技術営業職を経験した後、自ら志望して2012年にマーケティング関連の部署へ異動。現在は集積回路製品のマーケティングを担当している。マーケティング職への異動を機に社外での学びや交流を積極的に行っており、ビジネスモデルコンサルタントの認定資格「BMIA(Business Model Innovation Association)コンサルタント」や「Read for Action協会ファシリテーター」などの資格も取得。学んだ知識を生かして勉強会やワークショップの講師としても活動している。